• だしと私 2020.06.08

vol.21 フォトグラファー 中川正子さん

ケの食事を楽しむ暮らし

9年前、岡山に家族で移住しながらも、東京を始めとした国内外を飛び回りながら写真を撮り続けているフォトグラファーの中川正子さん。中川さんの写真は、たとえ夜の風景や暗い室内のひとコマを撮っていても、光と透明感に溢れているのが印象的。通りすがりの人の表情も、普通の日常生活も、なんだかぎゅーっと愛おしく感じてしまう写真を撮り続ける中川さんに、家時間が増えた2020年の春のお話をうかがいました。

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中川さんが岡山へ移住したのは、2011年の東日本大震災の後。まだ0歳児だった息子を抱えての決断でした。

「ちょうど育休明けの復職のタイミングで、建築家の夫が岡山で仕事をすることになったんです。私の仕事は東京がメインだし、これからは半単身赴任だねなんて話していたときに震災が起きました。それで避難も兼ねて岡山に一緒に行き、その後、自分も移住することに」

先が見えないなか、自分で判断しなくてはいけないという状況は、コロナ禍の現在と似ているかもしれません。

「だけど引越しが終わって落ち着いた途端、ここには私の友達がいない!洋服もCDも本も買う場所がない!って気づいたら落ち込んでしまって。とても寂しくて、ないものばかり数えてました」

常に朗らかで、前を向いている今の中川さんの姿からは想像がつきません。

「そんなとき、子どもを連れて出掛けた公園で、やっと気の合いそうなママたちと知り合いになったんです。それがきっかけで、友達がゼロってことは自分が望む人と友達になるチャンスなんだって気づきました。それからは街でいいなと思った人がいると声をかけては知り合いになって。もちろんびっくりされることもあったけれど、今も仲良くしている人もたくさんいます」

このポジティブさが中川さんらしさ。人が人を紹介してくれるというつながりで、どんどん気の合う友人たちが増えていったのだそう。

「なにもないって思っていた岡山だけど、実は面白い人がたくさんいたんです。いろいろなお店を経営しながら、街の仕組みから変えたいと議員になった人もいる。みんな、ゼロから自分で仕事を生み出しているんです。彼らを見て、東京では自分も含めて大きな仕組みのなかで働いていたんだと気づきました」

その気づきが、新たに中川さんの背中を押します。

「パイオニア感のある友人たちのなかで、自分は何も自ら始めていないことが恥ずかしくなって。例えばビッグクライアントと仕事して満足していても、よく考えたら自分は単に写真係だっただけじゃないかと。自分のアイデンティティはなんだろうって考えました」

そこで中川さんは、ある決断をしたのです。

「いきなり、写真集を自費出版することにしました。タイトルは、子どもが生まれて一変した世界と、震災で変わった世界を新たに迎える気持ちから名付けた『新世界』」

実は出産するまでの自分は完璧主義だったと笑う中川さん。

「自分に対する期待値が高いというか(笑)。きちんと天気予報を確認し、あらゆる事態を綿密に想定して、万全の体勢で仕事にのぞんできました。ところが、子どもが生まれたらそうはいかない。突然発熱するとか、出かける直前に牛乳をこぼすとかね。こういう想定外のことが当然になるのが私の今後の人生ならば、その場その場で臨機応変に対応していくしかない。そういう力を身につけていかねば、と思ったんです」

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「ダレオド」
「Rippling for WONDER FULL LIFE」
は完売したのち、再販中。
「新世界」は増刷を検討中。

結果、急な思いつきで走り出した『新世界』は完売のち、増刷を検討中。その後に出した写真集「ダレオド」「Rippling for WONDER FULL LIFE」は完売したのち、自身で立ち上げたオンラインショップにて再販中。fua accessoryというブランドとコラボレーションで書いた短編「モキク」は完売。

「まずは、やりたいかやりたくないかが先にあって、やり方はあとから必死に考えればいいというふうに考えるようになりました。岡山で起業しているような友人たちはどこか無鉄砲な人も多くて、やりたいと思ったら見切り発車。お金は後からついてくるんだから、って。私も今は、やりたい仕事はとりあえず受けることにしているんです。子どもを預ける手配とか交通費とかは、後でなんとかする」

たとえバタバタしたとしても、なんとかする手段はこれまでの人生で身につけてきたから。

「新しい仕事の話がきたらまず、その仕事をしている自分や、その現場に向かう時間を想像するんです。明るい感じがするなら、現実的に難しくてもやりたいと答える。だけど、すごく条件はいいし聞こえのいい仕事だけど、なんだかざわっとする感じがあったら、勇気を持ってお断りする。これまでの経験を鑑みると、私のそのセンサーはどうやら正しいみたいなんです」

そのうちに、ざわっと感じる仕事の依頼は姿を消し、岡山からでも来て欲しいという仕事の方が増えていったそう。

「私の性格上、誰かの役に立ちたいという気持ちが強いから、昔は断るのが苦手で。いっぽうで、30歳の頃から"中川正子じゃないと"っていう仕事を増やしていきたいと考えていました。若い頃は女性フォトグラファーというだけで注目を集めることも多かったけれど、それは続かないだろうなということはわかっていたから。いつか子どもを産みたいし、私らしさを出していかないといけない」

いきなり自分の定義をつけられたわけではないけれど、少しずつ"中川正子"らしさを表現していくうちに、だんだん得意なことがわかってきたのだそう。それは岡山移住の少し前のこと。以来、9年の月日が経ちました。

「岡山へ移住しても、相変わらず長期プランなんてなくて、目の前のタスクを一つずつこなしてきただけ。息子が小学1年生になるまでは完全に、東京と岡山の2拠点生活でした」

地方へ移住と聞くと、田舎暮らしを想像す人が多いのかもしれませんが、岡山の中川さん宅は新幹線の駅のすぐ近く。

「自転車で少し行けば、ハイブランドのショップが並ぶような街中です。だけど、歩いて5分で登山口までも行ける。近所の公園に行くような気軽さで、山に登れるんです。多いときは週に4回も飛行機に乗って移動していた私がステイホームとなって、初めて山の気持ち良さに気づきました」

海が好きで、山は窓から眺めて気持ちいいものだと思っていた中川さんが、今では合間を見つけては、毎日のように山を登ってリフレッシュしているのだそう。ランニングのような登山のようなそれが、今の中川ファミリーの新しい日課となりました。

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「1日に3食作るというのも初めての経験で。これまでの私の料理は、週に何度か張り切って作るような、いわゆる"男の料理"と、留守の間に食べてねという留守番ごはんだったんです。でも朝昼晩を毎日となると、料理はクリエイティブなことではなく、日常になるんですよね」

ハレの料理から、ケの日の料理へ。

「ふと気づいたら、普通の肉じゃがって作ったことあったっけ!?って。それで小林カツ代さんの本に載っていたものすごくシンプルな肉じゃがを作ってみたら、あっという間にできて、めちゃくちゃおいしかった。素材もミニマムだし、大胆な作り方なんですが、食べた我が家の男子たちの歓声たるや!」

もちろん、今までのおしゃれで異国風の料理も喜ばれていたけれど、こういう普通の料理の需要を確認したできごとでした。それからは豚バラの炒めものや青椒肉絲といった、"映え"ないけれど、確実においしい料理の出番が増えてきたのだそう。

「今さらですが、やっと家庭の食卓を始めたような気がしています。小学4年生の息子にも"おふくろの味"を伝えられるギリギリのチャンスだったかなって。日常となると毎回丁寧にだしをとることも大変だから、やきつべのだしがあって助かっています。このパッケージのきれいな色が新鮮で、キッチンに出しておいても嫌じゃない。よく使うものだから、手にとりやすい場所に置いておけるのもありがたいんですよね」

中川家の朝ごはんは、白いごはんと具だくさんのお味噌汁が定番。

「やきつべのだしを使うようになって、だしが主役という気持ちでお味噌汁を作るようになりました。香りがよいから、味噌の使用量が減った気がします。和食の極みだと敬遠していたお吸いものも、これなら作れちゃいますね」

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また、時間がないときにしょっちゅう作るのは、豚しゃぶサラダ。

「メインもサラダも兼ねるという料理で、忙しいときに重宝しています。タレは気分次第。醤油、みりん、酒、生姜、ニンニクなんかに、黒酢やごま油を足したり。写真は、息子と一緒に盛り付けたもの」

夕食の準備は、小学4年生の息子も頻繁にお手伝い。

「息子とは毎日すごくたくさん話をしていて、とても気の合う同志。料理も小さいときから手伝ってもらっていて、なにかやるたびにすごい褒めるんです。もう、こんなにきれいにむけた玉ねぎは見たことがない!って(笑)。毎度褒めているからか、料理も楽しんでやってくれていますね」

自宅で仕事をしていると、あっという間に食事の支度時間がやってきます。

「自粛期間から掃除にもハマっていて、朝ごはん食べて掃除してると、まだ1時間しか仕事してないのに、おなかすいたーって言われちゃう。でも深み鰹白だしがあると、お揚げと卵入れるだけで5分で絶品うどんができるんです(笑)。今まで特に気にしていなかった"時短"料理だけど、こういう時短ならいいなーって。毎日続けるためには大事なんだなと今更感じました」

家族にも大好評だとか。

「うちは麺つゆを自家製です、とえらそうに言いたいけど、この白だしがあればあっという間に簡単にできちゃうから威張れない(笑)。今まで添加物を避けたい気持ちもあって、市販の白だしは敬遠していたけれど、無添加の深み鰹白だしは変なカドがない味で、すごくおいしい。こんなラクでいいのかなって罪悪感を感じちゃう。でもまあ、家族がおいしいおいしいって言ってくれるならいっか(笑)」

これまでは外食でおいしかったものを再現したり、おしゃれな料理を作ってみることが好きだった中川さんですが、今は料理本や雑誌に掲載されているレシピを忠実に作ることに目覚めたのだそう。

「やっぱりレシピ通りに作るとおいしいんですよね。先生たちはすごい(笑)。一度作ってみたら、自分流にアレンジもできるようになるし」

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とはいえ、本を見る余裕もないときに作る中川さんの定番料理といえば、豆乳坦々麺なのだとか。

「ちゃんと料理をするのも面倒なくらい疲れていたり、テイクアウトを買いに行く時間もないってくらい忙しかったりするときによく作ります。簡単だけど、見た目も味もなかなかイケるんですよ」

そんなとっておきのレシピをご紹介。豆乳をあたためて白だしで味つけしたスープに、ゆでた素麺と、ひき肉と長ネギを炒めて醤油、みりん、酒、生姜などで調味したものと、ゆでた青菜をトッピング。

「おいしいラー油をかければ最高です。今は、台湾の日日辣油がお気に入り。あっという間にできるのに、ちゃんと満足する。もともとは鶏ガラスープで作っていましたが、白だしを使うとちょっと和風でいい感じなんです」

取材・文/藤井志織

masakonakagawa2020.jpgプロフィール

大学在学中にアメリカに留学し、写真と出会う。帰国後、写真家のアシスタントを経て独立。雑誌や書籍、広告、CDジャケットなどで活躍しながら、個展も定期的に開催。2010年4月に出産し、2011年3月から岡山に移住。現在は、岡山を拠点に国内外の撮影を手掛けている。https://masakonakagawa.com/ オンラインショップはhttps://masako-nakagawa.stores.jp/