• だしと私 2019.07.02

vol.10 料理家 麻生要一郎さん

お弁当.jpg

雑誌の撮影現場やイベント会場などで「おいしい」と話題のお弁当があります。梅酢風味の大きな鶏の唐揚げに卵焼き、煮浸しやきんぴらなどいくつかの副菜と白いごはん。奇をてらわない、ごく普通のおかずだけど、しみじみとおいしく、食べるとなんだか元気がわいてくる。そんなお弁当を作っているのが、今回、ご紹介する麻生要一郎さん。ご自身のインスタグラムに綴られる日常の様子は穏やかでやさしく、人間力を感じる文章にファンが増加中。

そんな麻生さんに、料理を職業とするようになったきっかけや、料理についての思いをうかがいました。

建設業界から料理人へ

今やお弁当が大人気の麻生さんですが、実はもともとは建設会社の後継ぎ。料理を生業としようと考えていたわけではなかったそう。

「実家が建設会社だったので、若い頃は、建物や道路に関する仕事をしていました。今もそのときの考え方は役立っていますが、今とはまったく違う仕事ですね」

そこからなぜ料理へ?

「家業を継いではみたものの、仕事は合わないし、お金を巡るいざこざも多い。だけど忙しくて自分の時間なんて皆無。実質的な会社を継ぎたがっている親戚もいたから、このままがんばり続けることが果たして正解なんだろうか、これは人生において大事なタイミングなのでは、と思ったんです。それで友人と地元の水戸でカフェを始めて、それを理由に会社の代表を辞めました」

とはいえ、副業として始めたカフェだったので、麻生さんがいなくてもまわっていく状況。これは本腰が入らないけれど、お店がひとつあることで地域が明るく活性化していくのっていいなあと感じていたときに、リノベーションや地域活性化を業務としている会社の人との出会いが訪れます。

「東京の新島がとても気に入ったんだけど、一緒になにかやらないか?と声がかかって。直感でいいなと思ったものの、初めて新島に行ったときは2月で、冬の冷たい海とほとんど人がいない島なんて、いわゆる事業計画においてはマイナス要素しかなかった(笑)。だけど船か飛行機でしか来られないところだからこそ、自分が思ったことを形にして、それでいい効果が出たら面白いかも、と思えたんです」

そこで新島に住み込みながら、8年ほど「saro」という宿を運営。宿で出す料理は、麻生さんが作りました。

「東京にある小さな島で何を出す?って考えたときに、まずは地場の素材を使うことを大事にしたいと思いました。それで、イタリアンとかかるいフレンチとかいろいろ試してみたんだけど、家庭料理がいいんじゃないかなと。煮物やおひたし、焼き魚、煮魚などの家庭料理は、自分も食べていてラクだし、お客さんもスタッフも自分も落ち着くんですよね」

この頃に、自分の路線はこういう家庭料理なんだなと思ったのだとか。

切り昆布の煮物.jpg

母のために料理を

建設会社からの転身で、急に仕事で料理をすることに戸惑いはなかったのかと聞いてみました。

「最初の料理の記憶は、小学校低学年の頃、母の帰宅が遅くなっておなかがすいていて、家にあった冷やごはんを使ってチャーハンを作ったことですね。鉄のフライパンが重くて熱くて火傷しちゃったんだけど、帰宅してそれを知った母は『火を使うのは危ないからやめなさい』と言わず、子どもでも扱いやすいフライパンを買ってくれました」

本格的に料理をするようになったのは、もう少し大人になってからのこと。

「父が亡くなった後、急に仕事をしなければいけなくなった母を助けたくて、日々の夕飯を作るようになりました。19歳くらいの頃ですね。けなげな息子が作った料理を母が喜んで食べる、という絵を想像するでしょう?」

それはなんて感動的な話!かと思いきや......。

「ところが母は嘘をつけない人だったので、ちょっと食べては、『ありがとう、でもごめんね、今日お昼が遅くっておなかすいてないわ』って微笑んで、すっと箸を置くんですよ(笑)。なにがまずかったんだろうと、残されたものを食べて分析しながら、鍛えられていったわけです」

当時は今ほどネットや料理本などが充実していたわけではなく、毎食ごとに手探りしていたそう。それが結果として、麻生さんの料理修行になっていたようです。

料理姿.jpg
(中川正子撮影)

「母は父のために常にたくさんのおかずを用意していました。父は仕事で不在がちで、食べるかどうかもわからないし、いつ帰ってくるかもわからない。でも急に帰ってきても、ぱぱっとたくさんの種類のおかずが食卓に並ぶんですよ。いったいどうやっていたんだろう、って今も思います」

麻生さんの料理は、お母さまと「saro」での経験がルーツになっているんですね。

「おいしいでしょうって作り手が強制することはできない、食べ手の感覚次第なんだと、母から学びました。「saro」ではたくさんの人を相手に料理をしていましたが、それぞれ好みが違うし、嫌いなものもある。ただ、おいしいものを食べたらみんな元気になるし、食を提供することは場をつくることになる。食ってそういう力もあるんだなあと」

フレンチトースト.jpg
「saro」の朝食によく作っていたフレンチトースト。

東京での新しい出会い

「saro」を8年ほどやってきたところで、建物の関係でクローズすることに。そのタイミングで、なんとお母さまの病気が発覚。

「気づいたらもう余命3ヶ月というので、急いで水戸に戻り、看病生活に入りました。既に手の施しようがない状況で、からだは食べ物でなんとかなるなんて幻想だと思いましたね。だけど、病気が治るわけではなくても、少しでも栄養を摂ってもらいたくて、だしをとって飲んでもらったりしたんです。弱っているときでも、だしなら受け入れられるんですよね」

やがてお母さまは他界。麻生さんは目の前のことに必死で、自分が今後どうやって生きていこうなんて考えもしていなかったそう。

「家業を譲ったときに実家も手放していたので、住む場所もない。でもなんの根拠もなく、なんとかなるかな、ごはんでも作って生きていこうかなと思った。それですべて引き払って、愛猫1匹抱えて東京に越してきたんです。

実家が経営者だったと言うと、お金持ちだからそんな自由にやっていられるんでしょう、と思われるかもしれませんが、実際はそんなことは全くなくて。霞を食べながらなんとか生きてきたような(笑)」

さて、引越し先の大家さんと出会い、麻生さんの人生がまた大きく動きます。

「これはちょっと不思議な話なんですが、以前、よく当たるお告げをする友人に、『あなたは千駄ヶ谷に縁がある、古いマンションでおばあさんがいて...』というようなことを言われたことがあって。それを思い出して、その場所で家を探しました。そしたら、引っ越ししたマンションの大家さんがおばあさんの姉妹で、今は、その2人の養子になっています」

現実は小説より奇なり、とはこのこと。

「2人に会うたびに、『私たち猫が好きだから、たまに預かってあげるわ』なんて話しかけられていたんです。大家さんがいい人たちでよかったなーなんて思っていたら、あるとき突然家に来て『あなた独りでしょ。私たちも孤児なのよ。あなたが養子になって、このマンションを継いでくれたらいいのに』と言われて」

あまりに突拍子もないので、「みんなに言ってる挨拶みたいなものなんだろうな」と聞き流していたら、その2日後にまた同じことを言われたそう。

「そのうち、近所の買い出しのお付き合いを頼まれるようになり、まあ、これも人助け、ご近所づきあいと思いながらやっていたら、ある日、『お墓を買おうと思っているから付き合ってくれない?』と。いつもの買い出しの延長だと思って車で連れて行ってあげたんですが、そこで『あなたの家のお墓もここに移しちゃいなさいよ』なんて言うんです。あれよあれよと、お墓を3つ購入して、『手続きが面倒だから今、養子になっちゃいなさいよ』という話に。わ、本気だったんだと。もうお墓屋さんもびっくりです(笑)」

チョビの写真.jpg

結局、愛猫のチョビも預かってもらったまま、大家さん姉妹の家で暮らすようになったそう。

「本当に可愛がってくれていて、チョビがいないと寂しそうだから、なんだか引き取るのがかわいそうになってしまって。ぼくが姉妹の家に通えばいいかなと思ったんです。結局、買い出しをしてあげたり、話をたくさん聞いたり、作ってもらった料理を食べたり、毎日会っていますからね」

今は姉妹の1人が入院してしまい、麻生さんの日常は、2人の介護と大家業で大忙し。

「料理の仕事もなかなか受けられず、今は仕事量を限定させてもらっています。旅行もできなくなってしまったけれど、またいつか自由に行けるようになったら行けばいいかなと。今までの人生も、誰かと出会って役割を与えられることで進んできた気がするんです。今はこれが自分のやるべきことかな、っていうのはなんとなく直感でわかるし、使命感のようなものがありますね」

流れのままに漂っているように見えて、その都度しっかりと地に足をつけてやってきたからこそのご縁なのかもしれません。

穏やかな暮らしと普段のごはん

ふだんのごはん.jpg

今はパートナーと2人暮らし。2人の食卓にも、やっぱりさまざまなおかずが並びます。

「変な献立なんですよ(笑)。食べたいとか作りたいものを作っていると、グラタンにお刺身に煮浸しまで並んじゃう。おかずの種類が多いのは、母譲りかもしれません。誰かのために作るのが好きで、もし自分1人だったら野菜ちょっとと魚くらいでルーティン化しちゃうだろうなと思うけれど」

パートナーは「外食がしたくなくなってしまった」と言います。

「昔は毎日、外でお酒を呑んで食べてという生活だったのに、彼の料理を食べていると、もう外の食事に違和感を感じるようになってしまって。組み合わせも外では食べられないものだし、料理全体のバランスが好きで。やさしい味なんですよね」

そんな暮らしのなかで、だしはどんな存在なのでしょう?

「やっぱり毎日使うものだから、丁寧にとることもあるし、簡易だしもいろいろ試していますよ。ただ、無添加って書いてあるけど、舌に残るこの違和感はなんだろう?と感じることも多い。調べてみると調味料とか、まあ、いろいろ入っているんですよね。その点、「やいづ善八」のだしパックやだし商品は、それがなかった。素材そのままの味なのがいいなと。からだと心が疲れないものを、と思って作る料理にとって、だしは欠かせない存在です」

取材・文/藤井志織

プロフィール

プロフィール.jpg

建設業、飲食業を経て、「カフェ+宿 saro」を運営。現在は料理家として活動する傍ら執筆業も手がける。「毎日食べても飽きない家庭の味」がモットー。Instagramのアカウントは @yoichiro_aso